今回はaikoさんが大阪でどのように育ってきたのか、生い立ちや経歴、学歴について深く迫っていきます。
題して「aikoの生い立ちは?経歴や学歴(高校・短期大学)を紹介!」!
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aikoの生い立ちは?
aikoさんは1975年11月22日に、大阪府吹田市で生まれました。
お父さんお母さんの三人家族で、一人っ子だそうです。
お父さんは、ポポロというバーを経営されているようです。
こちらのサイトを見ると、どんなお店かがわかります。
お母さんは、看護師をされていたようです。
本名は柳井?甲斐?
aikoさんの本名ですが、柳井愛子さん説と甲斐愛子さん説があります。
お父さんの名字が柳井で、お母さんの旧姓が甲斐なんだそうです。
現在のWikipediaによると、柳井愛子さんとなっていますので、柳井愛子さんでよいのかと思われます。
では、なぜ柳井説と、甲斐説があるのでしょう。
それは、次に述べます小学生時代の出来事に関係していると思われます。
aikoさんの生い立ちを調べてみると、小学生時代はなかなか辛い出来事もあったようです。
小学生時代
出展:
https://ameblo.jp/takoyakipurin/entry-11958448376.html
aikoさんは、大阪市立北中島小学校に通っていたそうです。
明るくて元気なクラスの人気者だったのではないかなと、今のaikoさんを見てると想像してしまいます。
aikoさん言わくおてんばな女の子だったそうですが、そこには家庭環境が深く関わっていたようです。
小学5年生の時に、aikoさんは親戚に引き取られています。
その理由には、ご両親が別居したからという説と、ご両親が離婚したからという説があるようです。
両親が別居説
2005年に出版された「aiko bon」を読んだファンの方のブログに、下記のように書かれていました。
小学校4年の時、お母さんが家を出てしまい、高校卒業まで親戚の家に預けられたそうです。
出展:
https://plaza.rakuten.co.jp/carpentergen/diary/200510020002/
ご自身が書かれている本なので本当のことですよね。
この時はあえて離婚したとは書かれなかっただけなのかもしれませんね。
両親が離婚説
2016年フジテレビ系の『ボクらの時代』に出演された時に、aikoさんご自身が次のように語られています。
「うち両親が離婚して、小学5年生くらいのときに親戚の家に引き取られたんです」と複雑な家庭事情を告白した。
「親戚の家では部屋に閉じこもってラジオをずっと聞いて、学校行ったら“わー”っておてんばな子だった」と二面性を持っていたことも語った。
出展:
https://www.musicvoice.jp/news/20160511040690/
このように、ご自身が離婚されたと語っておられるので、離婚されたのは間違いないのでしょう。
やはり、2005年に本を出された時点では、離婚されたとは書かなかっただけなのかもしれませんね。
しかし、どちらにしても親戚に引き取られて、辛い時期を過ごされたことには変わりありません。
「今は感謝の気持ちしかないんですけど、小さい頃に急に違う家行って、私も慣れへんくて。ずっとラジオつけっぱなしににして小学生の頃から夜中2時くらいに寝る子でした」と当時を振り返った。
木本は「どうせ私は一人なんやって思ってたんでしょ」と察すると、aikoは「思ってました。家庭環境もあって『お小遣いちょうだい』が言えないとか、そういうのが蓄積されて。ずっと孤独やって思ってたんです」と当時の心境を明かした。
出展:
https://www.musicvoice.jp/news/20160511040690/
木本というのは、TKOの木本さんです。
デビュー当時から親交があったそうで、この番組に一緒に出られてトークをされていました。
小学5年生はしっかりしてきているかもしれませんが、まだまだ甘えたいという気持ちだってあると思います。
周りの友達にいじめられる原因にもなりかねないと思いますが、そこはやはりaikoさんが明るく振る舞われてたからなのかもしれませんね。
aikoさんにとってあまり触れられたくない過去かもしれないなと思いました。
でも、今のaikoさんがファンの方一人一人の声に耳を傾けたり、話してくれたりといった部分は、こういう時期があったからなのではないかなと感じます。
一人じゃない、たくさんの方に支えられてるということを実感されてるんじゃないかなと思います。
中学生から高校生時代
親戚に預けられた頃から、歌手になりたいと思われていたそうです。
そんな小学生時代を経て、aikoさんは、大阪市立宮原中学校に通われていました。
aikoさんのお父さんと、歌手の円広志さんは友人だそうで、こんなエピソードがあります。
aikoの父親と友人関係にあり、aikoのデビュー前に父親から相談され、苦労するからと歌手になることを反対していた。
出展:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E5%BA%83%E5%BF%97
このアドバイスを受けて、もしかしたら一時は迷われたかもしれませんね。
しかし、その後夢を諦めることなく、高校生の頃から、ピアノを使って作曲を始めたそうです。
出展:
https://matome.naver.jp/odai/2147487185784514401/2147517443494172303
大阪府立東淀川高校に通われていたaikoさんは、生徒会で副会長をされていたそうです。
結構忙しかったのではないでしょうか。
その一方で、高校を卒業されるまで、友人と一緒にバンド活動をされていたそうです。
J-POPのカバーバンドだったようです。
短期大学時代
1994年高校を卒業後、大阪音楽短期大学ポピュラー・ボーカル科に進学されたそうです。
学内はもちろん、学外でも本格的な音楽活動をスタートさせます。
短期大学で音楽理論を学ぶ一方で、aikoは、家では中学時代から大好きだったKANの「TOKYO MAN」などを何回も何回も繰り返し聴き込み、曲に合わせてピアノの弾き語りを練習、やがてオリジナル曲を作り始めるようになります。aikoは、初めて作った曲で、ヤマハの音楽コンテスト「TEENS’ MUSIC FESTIVAL’95」に応募、全国大会で、ティーンズ大賞を受賞します。
その様子を見たFM OSAKAのプロデューサーが、aikoを深夜の音楽番組のDJに起用、aikoは、自分が担当するラジオ番組を通して、ゲスト出演した歌手に、「私は歌手になりたい!」という夢を語りはじめます。出展:
http://hfm.jp/blog/shokutaku/2008/04/aiko.html
初めて作った曲で賞を受賞されたんですね。
これが「アイツを振り向かせる方法」という曲で、「桜の時」のカップリングとして発売されています。
メジャーデビューそして人気アーティストへ
短期大学卒業後、ラジオDJをしながら本格的な音楽活動を行うようになったそうです。
別のヤマハのコンテストに出演し、優秀賞を獲得したことをきっかけに、ヤマハと1年間の契約を結び、デビューに向けてのレッスンを開始されたそうです。
ヤマハとの契約が切れた後、誘われていた音楽事務所からインディーズアルバムを発売。
2枚目のインディーズアルバム制作途中に、映画『新生トイレの花子さん』の主題歌を歌うことが決まり、1998年7月シングル「あした」でついにメジャーデビューを果たされました。
ついにメジャーデビューできたaikoさんですが、いろいろと複雑な思いもあったようです。
「作詞は自分でしたけど、曲は自分の曲じゃないんです。詞についても、「子どもが聴くから、作る時、難しい言葉は使わないでくれ」とか言われて。そもそも私は、作詞をして、曲を作るほうだから、逆に作曲された曲を聞いて詞を書くなんて、初めてのことだったので、気持ちはいろいろと揺れ動きました。デビューしたと言っても、自分の曲という感じもなかったので、ピンとこなかったのが正直な気持ちかな」。
aikoは、自らを振り返った「aiko bon」の中で、こう話しています。
出展:
http://hfm.jp/blog/shokutaku/2008/04/aiko.html
もちろん嬉しさはあったのではないかと思いますが、それまでにいろいろ自分で曲を作ってここまで来たからこそ、自分の曲でデビューしたかったという気持ちがあったのかもしれませんね。
メジャーデビュー後、新たな曲を作るのには苦労されたようです。
そんな中、1999年3枚目のシングル「花火」が大ヒット。
スタッフからの、歌手は3枚目が勝負、3枚目が当たらないと厳しいというプレッシャーのもと生まれた曲だったそうです。
こうして、aikoさんは人気女性アーティストへの道を歩み始めたのです。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
「aikoの生い立ちは?経歴や学歴(高校・短期大学)を紹介!」と題して見てきました。
小学生の時は辛い思いをされたようです。
ですが、外ではご自身おてんばな子だったと語られるように、元気な女の子だったようです。
ずっと孤独だと思うほど辛かったのに、それを見せないように振る舞っていたんですね。
でも、今のaikoさんがファンの方一人一人の声に耳を傾けたり、話してくれたりといった部分は、こういう時期があったからなのではないかなと感じます。
一人じゃない、たくさんの方に支えられてるということを実感されてるんじゃないかなと思います。
この頃から歌手になりたいと思われていたようです。
高校でのバンド活動、短期大学で音楽を学ぶ傍らオリジナル曲を作りコンテストで大賞を受賞、深夜音楽番組のDJ活動と、地道に歩んでいったaikoさん。
1998年「あした」でついにメジャーデビューするも、自分で作った曲ではなかったので複雑な思いも抱かれていたそうです。
メジャーデビュー後曲作りに苦労する中、3枚目のシングル「花火」が大ヒットし、人気アーティストの道を歩み始めたのです。
明るくて元気なaikoさんからは想像できない苦労がたくさんあったんですね。
どんな時も明るく元気なaikoさんだったのだろうなと、その姿が想像できます。
誰からも愛される子供でありますようにと、愛子と名付けられたそうですが、そのとおり誰からも愛される素敵な女性ですよね。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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