大注目のシンガーソングライター藤井風さんの人気は凄まじいですよね。
今回は、2020年発表のデビューアルバム「HELP EVER HURT NEVER」に収録されている『帰ろう』の歌詞について考察していきたいと思います。
「死生観」をテーマにされた楽曲と言われていますが、どんなメッセージが込められているのでしょうか。
藤井風さんが語る曲への思いもご紹介しつつ、「帰ろう」の魅力に迫りたいと思います!
藤井風の死生観とは?
藤井風さんの楽曲の中でも、特に優しい雰囲気の曲調と感動的なMVの「帰ろう」。
MVでは老若男女の様々な人々が長い一本道を歩いていき、それぞれが別々の事情を抱えているような描写がありました。
聞く人それぞれの感じ取り方で、いくらでも解釈できるような不思議な世界観があるように思います。
藤井風さんは、以前に老人ホームや病院などで演奏された経験より、死生観について思いを巡らせていたというようなお話もされていました。
ご本人曰く、「幸せに死ぬためにはどうやって生きていけばいいか」そんな問いについて考え、もがいているというのです。
人の死に向き合い、また自らも死に向かっているという事にポジティブなイメージを持って、前に進みたいというような印象を受けました。
↓ご本人の公式Youtubeでもこの曲に込められた思いについてお話されていました。
藤井風さんは、動画で解説や曲を作るに至った経緯などを、曲ごとにお話されているので要チェックですね!
「帰ろう」のMVが感動的すぎる!
まず、「帰ろう」を聞いたときに感じたのは、「これから死を迎える人が、残された人へ向ける葛藤」または、「人生において変化を迎える人の葛藤」かなという印象でした。
藤井風さんのこの曲への思いを知った後に感じたのは、きっとどんな解釈にも不正解はなく、正解もないのではないかとも受け取れました。
それぞれの思いに寄り添うような、そんな優しいメッセージにも感じるのです。
そして、MVは椎名林檎さんのMVなども手掛けたことのある児玉裕一さんが監督を務められたそうです。
ふわふわと穏やかで、切なげな雰囲気で素敵なMVで曲のイメージにもぴったりですね。
歌詞の意味を考察!
ここからは、詳しく歌詞の意味について主観による解釈をふまえた考察をしていきたいと思います。
あなたは夕日に溶けて
わたしは夜明に消えて
もう二度と 交わらないのなら
それが運命だねあなたは灯ともして
わたしは光もとめて
怖くはない 失うものなどない
最初から何も持ってない
「夕日」と「夜明」や、「灯ともし」と「光もとめ」という対照的な描写で、生と死についてなのではないかと予感をさせます。
それと同時に、自分の中に変化を感じた時の心の動きの様にも感じます。
「あなた」とは過去の自分であり、「わたし」とは現在の自分という意味ではないかと考えました。
それじゃ それじゃ またね
少年の瞳は汚れ
5時の鐘は鳴り響けど もう聞こえない
それじゃ それじゃ まるで
全部 終わったみたいだね
大間違い 先は長い 忘れないから
「5時の鐘」というのは、恐らく夕方に鳴る帰りのチャイムのことではないかと思われます。
無垢だったはずの自分はもう居ない、子供の様な素直な自分も居ないから、これではもうダメだと自分にがっかりしているような雰囲気と受け取りました。
けれど、それは「大間違い」であり、人生はこれからも長く続くのだから、今はもういない「子供の頃の自分」を忘れないでいたいということかなと感じます。
ああ 全て忘れて帰ろう
ああ 全て流して帰ろう
あの傷は疼けど この渇き癒えねど
もうどうでもいいの 吹き飛ばそう
さわやかな風と帰ろう
やさしく降る雨と帰ろう
憎みあいの果てに何が生まれるの
わたし、わたしが先に 忘れよう
このサビから「わたし」というのは1番とは逆に、「過去の自分」の方に視点が切り替わっているように思います。
同じ自分自身であっても、過去を振り返ると、幼い頃や若い時とは今の自分が別人に思えることもあると思います。
だからこそ、何かに執着してこれからを生きるのではなくて、今を生きる自分に任せようというように「わたしが先に忘れよう」と
表現されているのではないかというのがしっくりきました。
あなたは弱音を吐いて
わたしは未練こぼして
最後くらい 神様でいさせて
だって これじゃ人間だわたしのいない世界を
上から眺めていても
何一つ 変わらず回るから
少し背中が軽くなった
以前、藤井風さんが、「なんなんw」という曲について語っている動画の中で、自分の中には神様みたいな存在が必ずいるとお話されていました。
そのお話をふまえると、「帰ろう」の歌詞での「神様でいたい」というのは、ネガティブな感情に振り回されたくない自分自身の心情と考えます。
弱音を吐きながらも先に進まなければいけない現在の自分と、こんな風になりたかったというような未練をこぼしながら自分を否定しそうになる葛藤と受け取る事もできるのではないでしょうか。
「私のいない世界」のくだりは、思い描いていた理想の自分でなくとも、世界は何も変わらず回っていくから少し安心したという事ではないかと感じました。
それじゃ それじゃ またね
国道沿い前で別れ
続く町の喧騒 後目に一人行く
ください ください ばっかで
何も あげられなかったね
生きてきた 意味なんか 分からないまま
「国道沿い」とは交通量が多く、騒がしいイメージがあります。
これから様々なことが起こりそうな予感の前に、過去の自分と向き合わないといけないという事かなと思います。
欲しがるばかりで、なぜ欲しいのかも分からず、誰にも何も与える事もできなかった後悔のようなものも感じます。
ああ 全て与えて帰ろう
ああ 何も持たずに帰ろう
与えられるものこそ 与えられたもの
ありがとう、って胸をはろう
待ってるからさ、もう帰ろう
幸せ絶えぬ場所、帰ろう
去り際の時に 何が持っていけるの
一つ一つ 荷物 手放そう
憎み合いの果てに何が生まれるの
わたし、わたしが先に 忘れよう
そして、2番サビでは過去と現在の自分が融合していくのではないかと考えます。
今まで体験してきたことや経験したものは、全て与えられたものであり、これからはそれらを与えられる立場になれるんだと表現されているのではないでしょうか。
与えられたり、与えたりの繰り返しで、最終的には手元に何も残らないように、潔く生きていきたいという理想を表現されているように思います。
あぁ今日からどう生きてこう
この最後のつぶやきの様な歌詞は、途方に暮れているようにも感じれるし、希望を胸に言っているようにも受け取れるのですが、そのどちらでもあるような気がします。
生きている限り、途方に暮れながらも前向きにもがき続けていきたいという意思の表れのように思えてなりません。
まとめ
今回は藤井風さんの「帰ろう」の歌詞について考察させて頂きました。
藤井風さんが、どのような思いで楽曲を作られたのか垣間見えるごとに、温かく穏やかで芯の強いお人柄なのではないかと感じられました。
解釈の意味付けは、同じ死生観をテーマに考えても人それぞれで、各々の人生によって感じ方も変わってくるのだと思います。
「幸せに死ぬためには、どう生きたらいいの?」
こんな問いかけを胸に生きていけたら、毎日を大事にできる気がしますね。
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