「NHK紅白歌合戦」の常連で通算出場回数歴代2位を誇る演歌界の大御所、五木ひろしさん。
1970年、オーディション番組「全日本歌謡選手権」に出場し、見事10週連続で勝ち残ってグランドチャンピオンに輝きました。
ここから五木ひろしさんの運命が明るい方へと導かれていくのです。
では、五木ひろしさんの生い立ちは?家族は?というとあまり知られていないのではないでしょうか。
そこで今回は五木ひろしさんの実家や両親・生い立ち等ルーツに迫る!人気の理由や魅力について調査してみました!
五木ひろしさんのことが気になるあなたの参考になったら嬉しいです。
五木ひろしの実家はどこ?
五木ひろしさんは京都府生まれ、福井県三方郡美浜町出身です。
五木さんの父親は鉱山技師だったため、鉱脈を追いながらの仕事なので、各地を転々としていたようです。
そんな中、京都府へ移った時に五木さんが誕生しています。
そして、幼稚園から小学2年生までの3年間は三重県鳥羽市に住んでいました。
その後は福井県へと移り、父親は鉱山技師の仕事を辞めて建築用石材を扱う会社を立ち上げています。
ですが、五木さんが小学5年生のときに家を出て両親は離婚という情報もありました。
五木ひろしの両親はどんな人?
五木ひろしの父親
色んな角度から調査してみましたが、さすがに五木さん自らが語った生い立ちのインタビュー記事はありませんでした。
あくまで噂ということになってしまいますが、ここではアジアの情報まとめサイトを中心にお届けします。
五木さんの父親が韓国人、祖父母は時代背景もあり、朝鮮人ということで、母親が松山姓を名乗る日本人であることから、五木さんは日本と韓国のハーフとなります。
本名松山数夫となっていますが、京都で生まれた出生時の名前は李和夫となっていました。
ここまで具体的に書かれていることを見ると、信憑性は高いのかもしれません。
五木ひろしの母親
五木さんの母親は名前を松山キクノと言います。
母親は農家をしていたようですが、先ほどにもありますように五木さんの父親が出て行き離婚となってしまい、二男二女の4人の子供を女手一つで育てることとなりました。
サンスポサイトでの五木さんのインタビュー記事の中に、母親のことが短くかいてありましたのでご紹介します。
五木さんの母親は農家の仕事だけでなく、鉄道の敷設工事という男仕事に混じり、ツルハシを振るって朝から晩まで働き続けたそうです。
そんな一生懸命な母親の姿を見て育った五木さんは、成功を手に入れて大事に育ててくれた母親に恩返しがしたかったということです。
そこで、家を建てたり、「ザ・ベストテン」では実家から中継したりと母親のために力を尽くしました。
五木ひろしの生い立ちやルーツを調査!
五木さんの出生名「李数夫」はどこからきているのでしょう?
出生名のルーツは父親と考えられます。
五木さんの父親は、もともと韓国系の鉱山技師で鉱脈を追って、家族で各地を転々としていました。
そして、京都府で五木さんが誕生します。
それから、福井県美浜町に移り、父親は鉱山技師の仕事を辞め、建設用石材を扱う会社を設立しています。
当時の五木さんの出生名は「李和夫」でした。
しかしその後、父親はまだ幼い五木さんと他の息子・娘たちを残し、自宅を出ていきます。
五木さんの母親は、父親が出ていったあと4人の子供たちを女手一つで育て上げました。
そして日本を代表する演歌歌手「五木ひろし」を立派に世に出しました。
数々の苦労もあったことでしょう。
五木さんは、有名になって以後、母親のために家を建てたり、「ザ・ベストテン」を実家から中継するなど、母親思いな側面を見せています。
それには、子供の頃の苦労エピソードが影響しているのかもしれません。
五木さんは本名を李和夫から松山数夫に改名しています。
現在の本名「松山数夫」のルーツは母親からきているのですね。
また、のちに日本へ帰化して日本国籍で日本人となります。
五木ひろし人気の理由や魅力は?ファンの声まとめ!
心が疲れているとき、五木ひろしさんの歌を聞くと癒される等、五木さんの歌声は人々の心に響くんですね。
これからもお元気で頑張って行ってほしいです!