平井堅の生い立ちは?経歴や学歴(高校・大学)を紹介!

平井堅
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平井堅さんといえば、恋愛ソングをイメージする方が多いのではないでしょうか。

しかし、「キャンバス」「ノスタルジア」「桔梗が丘」等、家族について歌ったと思われる曲もたくさんあります。

これらの曲を聞くと、平井堅さんはどんな家庭に生まれて育ってきたのかという生い立ちが気になります。

また、平井堅さんは高学歴らしいので、どんな経歴や学歴なのかも気になります。

そこで、「平井堅の生い立ちは?経歴や学歴(高校・大学)を紹介!」と題して、見ていきましょう。

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平井堅の生い立ち

平井堅さんは1972年1月17日大阪府東大阪市花園町で、父みちのりさん、母佐和子さんの次男として生まれました

6歳上のお姉さん4歳上のお兄さんもいらっしゃって、平井堅さんは末っ子なんだそうです。

よく平井堅さんはハーフだと思われているようですが、ご両親のお名前を見てわかるように、純粋な日本人です。

以前「徹子の部屋」に出演された時に、お父さんが濃い顔で、お姉さんもお兄さんも平井堅さんと同じように濃い顔というようなお話をされていたようです。

平井堅さんが2歳の時に、三重県名張市桔梗が丘に引っ越し高校卒業まで過ごされたそうです。

2013年に故郷の曲「桔梗が丘」をリリースされていますよね。

ミュージックビデオは桔梗が丘で撮影され、お母さんもご出演されています。

平井堅 『桔梗が丘 (MUSIC VIDEO YouTube ver.)』

仲のよさが伝わってきます。

平井堅さんは、お母さんについてラジオで次のように語られています。

18歳の頃まで実家にいたんですが、それまでは反抗期も思春期もなく無茶苦茶、母と仲が良かったんです。ご飯食べて、ず~っと紅茶飲みながら喋って…寝る。友達間みたいな感じでした。

でも反抗期って必要みたいで、大人になってから反抗期になっちゃったんです。しかも歌手デビューしてからきちゃったんです。

何がキッカケかというと、デビュー後、母からの“叱りのFAX”とか“ダメだし” が来るようになって、髪形や発言に…それで初めて衝突したんです、28歳ぐらいの時に…でも、親とぶつかることは必要なことなんだなぁと、その経験を経て思いました。

ただ、母と衝突していた時は、ものすごく面倒臭くて一時、母を自分から遠ざけた時もありました。でも、そうすること自体がやっぱり自分にとって苦しくて、その母を遠ざけている自分を攻めることもありました。

それで、父が亡くなった頃に母と大喧嘩をして…泣きながら罵り合うような喧嘩をして、でもそこからまた本当に仲良くなれて、受け止められる、お互いを認められるようになったんです。

だから母も、ひとりの人間なんだなとわかったんです。喧嘩する前までは、優しくて、欠点のない人だったんです…でも、そんなわけはなくて、それがわかった時にやっと本当に仲良くなれたんだなって今思っています。

そして、記憶をたどると…ピアノを習わせてくれたり、絵を習わせてくれたり、水泳を習わせてくれたりと…母がいろいろなことを経験させてくれたんです。

長くは続かなかったんですけど、そういう経験をさせてくれて…そして自由に育ててくれて、本当に感謝しています。

出展:
https://www.tfm.co.jp/dear/smartphone/index.php?itemid=41056&catid=693

素敵な親子関係ですよね。
このようなお母さんの元で育たれたことが、きっと今の平井堅さんの書かれる歌詞の優しさとか、歌声とかにも繋がっているような気がします

平井堅の経歴や学歴(高校・大学)

どんな学生時代を過ごされたのかも気になりますよね。見てみましょう!

名張市立桔梗が丘南小学校、名張市立北中学校を卒業後三重県立上野高校に進学された平井堅さん。

(高校生の平井堅さん)

出展:
https://matome.naver.jp/odai/2144827424525198701/2144827637326462403

椎名桔平さんもこちらの高校の卒業生のようです。
大半が大学に進学する進学校のようです。

また、文武両道がモットーで、部活動も盛んなようです。
平井堅さんが高校の時に部活動に入られていたのかは、調べましたがわかりませんでした。

そして、高校卒業後、横浜市立大学商学部に進学されます。
現在は、国際商学部になっているようです。

大学進学について、次のようなエピソードがあります。

サザンオールスターズの大ファンであり、当初サザンと同じ青山学院大学の受験を予定していたが、母親が願書の提出を忘れていたため第2希望であった横浜市立大学へ進学したという逸話を持つ。

出展:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E5%A0%85

平井堅さんはサザンオールスターズの大ファンで、サザンオールスターズからたくさん影響を受けています。

(こちらの記事もどうぞ!)
平井堅|サザンオールスターズから影響を受けたエピソードを紹介!

同じ大学に行きたいと思われてたんですね。
今となっては笑って話せるかもしれませんが、当時はとても悲しかったでしょうね。

そして、横浜市立大学在学中から歌手活動を始められました

上京し横浜市立大学在学中から横浜市関内のライブハウス専属の歌手などとして活動する傍ら、Sony Music Entertainment Auditionに自作ビデオを応募し、入選したのをきっかけに1993年よりソニーレコードと契約。

1995年にCDデビュー。1枚目のシングル「Precious Junk」はフジテレビドラマ『王様のレストラン』(三谷幸喜作品)のタイアップであったものの、オリコン最高50位と振るわなかった。

出展:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E5%A0%85

平井堅さんにも苦労した時代があったのですね。
しかしここで夢を諦めなかった平井堅さんに、転機がおとずれました。

2000年、これが売れなければ契約打ち切りという背水の陣でリリースした8枚目のシングル「楽園」のテレビCMに同じ研音所属の江角マキコが出演した(平井本人からの依頼を受けたもの)[6]ことで問い合わせが殺到し、スポーツ新聞・ワイドショーなどに大きく取り上げられた。

このCMは同年1月18日から北海道・福岡県限定で放送されていたものだったが、この反響により全国放送が決定し[6]、またFM各局でも楽曲が注目されて大ヒット。以後ヒット曲を多数リリースする。

出展:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E5%A0%85

よかったですね。
このことがなければ、今平井堅さんは歌手ではなかったかもしれません。

しかし、2003年「大きな古時計」がヒットした頃平井堅さんは追い詰められたんだそうです。

「楽園」のヒットで有名になった平井は「歌をたくさんの人に聞いて欲しいというのと、自分が有名になることが繋がってなかった」とし、意識のずれを感じるようになったという。

歌う事にも怖さを抱くようになった平井はマネージャーに「辞めたい」と告げるまで追い詰められていたようだ。

出展:
https://www.musicvoice.jp/news/20170828072328/

「楽園」が売れるまで苦労されたご経験があるからなおさらそう思われたのかもしれませんね。

その後、3ヶ月の休みをもらいニューヨークに行かれました。
そのニューヨークでの生活と美空ひばりさんの音楽との出会いで、平井堅さんは救われたんだそうです。

出展:
http://www.billboard-japan.com/d_news/detail/67129

ニューヨーク暮らしで“自分らしさ”を取り戻し、美空さんの音楽に触れて「こんなにすごい歌い手がいるんだ」と思った平井は、美空さんの歌をマンハッタン中の人に聞かせたいとの想いを抱いたという。

平井は番組の中で「欧米の音楽は日本より優れてる、そういう価値観に当時は縛られてたと思うんですけど、全然そんなことなくて。

日本語で日本の歌を歌うことの『面白さ』『奥深さ』をやっとわかった」と語り、美空さんの出会いによって意識改革が得られたと明かした。

日本語を大切に歌いたいとの気持ちを胸に、帰国後すぐとなる2004年に「瞳をとじて」を発表。累計出荷100万枚を突破する大ヒットとなった。

平井は苦しかった時期にも意味があったとし、それらを含めて「正直に歌にすることが自分にできる全てかなと思います」と明かした。

出展:
https://www.musicvoice.jp/news/20170828072328/

次々にヒットを出してすごいなと思っていましたが、まさかこんな苦悩を抱えられていたとは知りませんでした。

平井堅さんは、一曲一曲すごく心を込めて歌われているなと感じますが、このようなご経験があったからなのでしょうね。

平井堅さんにとっては私達が想像できない位辛い時期だったでしょうが、ご自身もおっしゃっているように、この辛い時期のご経験があるからこそ、今の平井堅さんがあるのではないかなと思います。

平井堅さんが歌手としてやりたかったことは皆さんに十分伝わっていると思います。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

「平井堅の生い立ちは?経歴や学歴(高校・大学)を紹介!」と題して見てきました。

大阪府で生まれ2歳から高校卒業までを三重県で過ごされた平井堅さん。

ハーフと間違われる濃い顔は、お父さん譲りで、お姉さんお兄さんも似ているそうです。

平井堅さんはお母さんと仲がよく、今の平井堅さんがあるのにはお母さんの存在が大きいのかなと感じました。

経歴や学歴もご紹介しました。

次々とヒット曲を出していて順風満帆な歌手生活かと思っていました。

しかし、デビュー後「楽園」がヒットするまでの苦労ヒットした後の辛い時期があったことがわかりました。

辛い時期を救ったのが、ニューヨークでの生活と美空ひばりさんの音楽との出会いで、その時期があったことが、平井堅さんにとっては意味のあることだったのですね。

辛い時期を乗り越えて、一曲一曲思いを込めて届けてくれている平井堅さん。
これからも素敵な曲を楽しみにしています。

最後までお読み下さってありがとうございました。

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