今歌謡界でとても注目されている若手実力派演歌歌手の真田ナオキさん。
王子様のような甘いマスクに独特のハスキーボイスが魅力的で女性ファンも多く存在します。
2020年12月30日に生放送された第62回日本レコード大賞で、「恵比寿」(作詞作曲・吉幾三)を披露し最優秀新人賞を受賞しました。
そんな真田ナオキさんがどのような生い立ちで歌手の道に進まれたのか気になりますよね。
そこで今回は、
- 真田ナオキの学歴(高校・大学)は?
- 生い立ちやデビューの経緯が知りたい!
というあなたのために、真田ナオキさんの学歴や生い立ち&デビューの経緯についてインタビュー内容やネットの情報をもとにわかりやすく紹介していきます。
ファンの方はもちろん、最近真田ナオキさんを知った方にもおすすめの内容ですので、情報収集にぜひお役立てください。
真田ナオキの学歴(高校・大学)を調査!
今をときめく真田ナオキさんがどのような学生時代を過ごされていたか気になりますね。
- 出身高校
- 出身大学
について順に確認します。
出身高校
真田ナオキさんの出身高校を調べてみると、高校へは進学しておらず最終学歴は中学であると判明しました。
残念ながら出身の中学校などの情報は明らかになっていません。
出身地が埼玉県さいたま市なので、埼玉県内の小〜中学校に通っていたものと思われます。
小中学校のころは日本代表選抜メンバーで世界大会に行くほど野球に熱中し、音楽とはあまり縁のない生活を過ごしていたようです。
出身大学
前述した通り、真田ナオキさんの最終学歴は中学で、大学には進学していないようです。
中学卒業後は高校へ進学せず、約2年間広島でひとり暮らしをしながら建築業に就き様々な経験を積まれたようです。
その後地元さいたま市に戻り、実家の水道屋を手伝っていました。
真田ナオキの生い立ちを紹介!
爽やかで線が細く見える真田ナオキさんは、優しい心を持ちながらガッツもある性格だと評判です。
しかしながらその生い立ちは、普段の甘いルックスからは想像できないほど波瀾万丈なものでした。
埼玉県さいたま市に生まれた真田ナオキさん。幼いころから運動が得意で、小~中学生時代は空手と野球に全力を注ぎ込む毎日を送りました。
小学校1年生から野球をはじめた真田ナオキさんですが、将来の夢はプロ選手になることでした。
小学校5年生の時にはすでに地元で頭角をあらわしており、日本選抜として選出された経験もお持ちのようです。
当時音楽に関してさほど興味がなく、偶然お店で試聴したモーツァルトのCDを買うくらいだったそうで、根っからの野球少年だったことが伺えます。
そんなスポーツの才能に溢れた真田ナオキさんですが、日本代表に選ばれた直後靭帯を痛めてしまい中学生で野球を辞めることになりました。
また真田ナオキさんが中学生の頃に両親は離婚しており、その後母親に引き取られました。
中学卒業後は高校進学をせず、水道工事の仕事をしお給料の大半を母親へ渡していたそうです。
しかし当時の生活は想像以上に厳しく、電気やガスが止まってしまいお米も炊けずに生のお米を食べるなど大変なものでした。
若くして波瀾万丈な日々を過ごす真田ナオキさんですが、15歳の時に約2年間広島でひとり暮らしをしながら建築業界で働いていた経験もあります。
今時の若者には珍しく大変行動力があり驚きますね。
また広島から地元に戻った後は実家の水道屋を手伝っていたと判明しています。
真田ナオキのデビューまでの経緯は?
なんと真田ナオキさんの父親は、2022年にデビュー40周年を迎えたベテラン演歌歌手の桂竜士さんです。
桂竜士さんは地元さいたま市で「カラオケ愛歌」というカラオケバーも経営しており、真田ナオキさんも一時期そちらで働いていたことがあるそうです。
低音で渋い歌声が魅力的ですが、やはり親子揃って整ったお顔立ちをされていますね。
このように、真田ナオキさんは音楽に精通した家庭で育ちました。
真田ナオキさんの公式プロフィールに「歌手の道に強く勧めたのは家族」と記載があるように、19歳のころから家族からの強い後押しを受けていたそうです。
しかし前述したとおり、真田ナオキさんは幼少期から音楽にさほど興味がなく歌手を目指していたわけでもありません。
ご家族のその誘いを頑なに拒む日々が続きました。
そんな中2011年3月の東日本大震災がきっかけで、真田ナオキさんの人生を変えるある出来事が起こります。
当時広島から戻り実家の水道屋を手伝っていたころ、テレビで多くの歌手による被災地訪問が放映されていました。
当時小学生くらいの臼澤みさきさんが被災地の民謡クラブで歌い勇気や元気を与えている姿に強く感銘を受け、「歌手になろう」と決心したそうです。
その後まずは民謡の先生のところに歌を習いに行きますが、「才能がないから」と三味線を勧められてしまいます。
悔しい思いを抱え、周囲の人に歌手になるためのアドバイスを求めるうちに、「声に個性が必要である」と気づいたそうです。
真田ナオキさんは覚悟を決め、海やカラオケボックスで叫んだり唐辛子を食べたり日本酒でうがいをするなど、血痰がでるまでとことん喉を潰しました。
歌手になると決めてからは勤めていた会社も退職し、実家のカラオケバーで勤めながら1日6時間以上声を大きく出し歌い続けるなどハードな練習を重ねたそうです。
その懸命な努力の末、真田ナオキさんの個性的で魅力的な唯一無二の声は作られました。
真田ナオキさんの師匠といえば演歌界の大御所である吉幾三さんだと有名ですが、お二人が出会った時期もこの頃のようです。
2015年、吉幾三さんの前で歌を披露する滅多にない機会があり、真田ナオキさんはその唯一無二な声を評価され弟子になるチャンスを掴みました。
2016年4月に「れい子」(作詞作曲:吉幾三)で正式に歌手デビューを果たし、2020年にメジャーリリース第一弾シングル「恵比寿」を発売しました。
第62回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞するなど、歌謡界でとても注目されています。
まとめ
若手実力派演歌歌手の真田ナオキさんについて、学歴や生い立ち&デビューへの契機についてネットでの情報を含めてご紹介しました。
- 最終学歴は中学で、大学には進学していない
- 日本代表になるほどの野球の実力をもつ元野球少年
- 家計を支えながら波瀾万丈な日々を過ごした
- 歌手を目指したきっかけは東日本大震災後の被災地訪問番組
- 凄まじい努力の末、吉幾三さんの弟子となりデビューを果たす
柔和で爽やかな見た目からは想像のつかないガッツと努力にあふれた真田ナオキさん。
真田ナオキさんの唯一無二の歌声は、数々の困難を乗り越えた末の賜物であるとわかりました。
2022年9月21日に発売された待望のシングル「渋谷で・・・どう?(三茶盤)」はオリコン週間演歌・歌謡シングルランキング1位を獲得しました。
今後も真田ナオキさんのさらなる活躍が楽しみですね!